発がん性予測手法開発への取り組み


医薬品の開発や一般化学薬品のリスク評価に欠かせない発がん性情報に関して、簡易で低コストのスクリーニング法の開発が求められています。我々は、 NEDOプロジェクト「高精度・簡易有害性(ハザード)評価システム開発」で得られた成果を発展させてトキシコゲノミクス手法を基にした短期間・低コストの発がん性予測手法を開発しました。このホームページでは、トキシコゲノミクス手法を用いた短期発がん性予測法開発の我々の取り組みについて紹介いたします。

本予測法開発は、名古屋市立大学 白井智之教授をプロジェクトリーダーとし、以下の3社の共同で実施しました。

また、本開発の主要部分は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の「高精度・簡易有害性(ハザード)評価システム開発」プロジェクトの成果です。プロジェクトの詳細はNEDOのHPをご覧ください。

はじめに

発がん性試験について

がんは、日本人の死亡原因の第一位にあげられており、イギリスの疫学者Dollらは、ヒトがんの発生原因の約80%は環境中に存在する化学物質であるという説を出しております*1。 化学物質の発がん性ポテンシャルを評価し、適正な使用をすることががんの一次予防として重要であることから、ヒトが直接摂取する医薬品だけでなく、環境中 に放出される可能性がある農薬や一般工業化学品についても、発がん性を事前に評価し、発がんリスク評価をすることがそれぞれ関連する法規で定められています。

現在、実験動物を用いた種々の発がん性試験が数多く実施されています。特にヒトに対して発がん性があることの証拠の一つとして「実験動物に対する発がん 性」の有無がその指標として重要視され、実質的にラットやマウスなどを用いた「長期発がん性試験」が化学物質の発がん性の最終的な確認試験として用いられ ています。しかしながら、長い試験期間と多額の費用が大きな負担となるだけではなく、多数の試験動物を用いることから動物愛護の観点から問題とされており ます。従来の発がん性試験よりも低コスト・短期間で実施可能な発がん性予測法を開発することにより、早期にかつ多くの物質について発がん性情報を収集可能 とすることは非常に重要な課題となっています。

*1 J Natl Cancer Inst. 1981 66(6):1191-308.

トキシコゲノミクスについて

近年、ヒトをはじめとしたさまざまな生物のゲノムの解析が終了し、遺伝子からの生命 現象の解明へと繋がっています。この中でトキシコゲノミクスは、toxicology(毒性学)とgenomics(ゲノミクス)を合わせた造語で、遺伝 子レベルで毒性等を解明する研究分野であります。

トキシコゲノミクスでは、化学物質の暴露等による毒性や副作用が引き起こされる臓器の遺伝子発現を網羅的に測定し、毒性や副作用に関連して発現変動する 遺伝子を特定することが重要です。この網羅的遺伝子発現の測定にはマイクロアレイが使用されます。

短期発がん性予測法について

遺伝子発現変動は化学物質暴露等に対する細胞の最初の反応であり、生物種によらず 共通性を有していると考えられます。したがって、トキシコゲノミクス手法を用いることによりメカニズムベースでの毒性評価が可能となり、種間差を克服した 短期の毒性評価法の開発につながることが期待されています。

トキシコゲノミクスを用いた化学物質の毒性予測に関しては、最近ではKiyosawaら*2が ラットの肝臓サンプルや肝細胞から取得した膨大なトキシコゲノミクスデータをデータベース化し、そのデータベースから選定したマーカー遺伝子の発現データ を基にした予測法によって毒性を起こす化合物の検出について報告されています。また、発がん性予測については、Tsujimuraら*3がラット肝の培養細胞を用いた方法について報告しています。また、米国EPAのToxCast programにおいても、トキシコゲノミクス手法を用いて発がん性を含めたさまざまな毒性の予測が試みられています。

*2 J Toxicol Sci 31:433-448.
*3 Cancer Sci 97:1002-1010.

予測法開発

トキシコゲノミクス手法を用いた短期化学発がん性予測法を開発するためには、化学発がんに関連した遺伝子の発現パターンと発がん性との関連付けが必要です。本開発では、化学発がんに関連した遺伝子の解明が十分ではない現状を踏まえて、発がん性既知物質を実験動物(ラット)に投与し、発がん標的臓器の遺伝子発現量を網羅的に測定し、得られたデータから発がんと関連した遺伝子を特定した後、化学発がんに関連した遺伝子の発現パターンと発がん性との関連付けを行いました。その中で、我々はこれらを実施するために適したマイクロアレイ、動物実験プロトコール、データ解析手法(バイオインフォマティクス手法)等についても開発いたしました。

マイクロアレイ

発がんと関連した遺伝子の特定を的確かつ効率的に行うためには、発がん性物質で変動する遺伝子が網羅的に搭載されたマイクロアレイが必要です。
そこで、本開発では、発がん物質を投与したラット臓器中の遺伝子発現情報等を独自に取得することにより発がん物質投与で発現変動する遺伝子を絞り、オリゴマイクロアレイ”ToxArrayIII”(6709遺伝子)を開発し、これを用いて遺伝子発現データの収集を行いました。

カバーグラスに覆われたToxArrayⅢ
カバーグラスに覆われたToxArrayⅢ
搭載した遺伝子の内、GeneOntolgy情報のある3,058遺伝子の内訳
搭載した遺伝子の内、GeneOntolgy情報のある3,058遺伝子の内訳

試験物質

化学発がんのメカニズムにはさまざまなモデルが提唱されています。その発がんに至るメカニズムが異なれば、化学発がんと関連した特徴的な遺伝子発現パターンも異なることが予想されるので、広範囲の化学物質に適用可能な発がん性予測法を開発するためには、さまざまなメカニズムの遺伝子発現パターンが必要となります。
そこで、本開発では、変異原性と組み合わせた下図の4カテゴリの中から発がん性メカニズム、臓器の標的性(主な標的:肝臓)、構造異性体等を考慮して選定した72物質(表1)を動物試験の試験物質としました。

表1 試験物質の一覧表
物質名CAS No.発がん性ラット肝
発がん性
変異原性
Clofibrate637-07-0++–
Di(2-ethylhexyl)phthalate117-81-7++–
2,4-Diaminotoluene95-80-7+++
2,6-Diaminotoluene823-40-5––+
Quinoline91-22-5+++
8-Hydroxyquinoline148-24-3––+
Phenobarbital50-06-6+–
D-Mannitol69-65-8–––
L-Ascorbic acid50-81-7–––
DEN (Diethylnitrosamine)55-18-5+++
2-Nitropropane79-46-9+++
N-Nitrosomorpholine59-89-2+++
Aldrin309-00-2+––
Di(2-ethylhexyl)adipate (DEHA)103-23-1+––
Ethinylestradiol57-63-6++–
Hexachlorobenzene(HCB)118-74-1++–
α-Hexachlorocyclohexane(HCH)319-84-6++–
Trichloroethylene79-01-6+––
Butylated hydroxyanisole (BHA)25013-16-5+––
d-Limonene5989-27-5+––
Safrole94-59-7+++
1,4-Dichlorobenzene (DCB)106-46-7+–
1,4-Dioxane123-91-1+LP–
Furan110-00-9+++
Methyl carbamate598-55-0++–
Thioacetamide62-55-5++–
2-Chloroetahnol107-07-3––+
2-Chloromethylpyridine HCl6959-47-3––+
DL-Menthol89-78-1–––
4-Nitro-o-phenylenediamine99-56-9––+
Benzoin119-53-9––
Iodoform75-47-8––
Lithocholic acid434-13-9–––
N-Nitrosodimethylamine (DMN)62-75-9+++
N-Nitrosopiperidine100-75-4+++
2-Acetylaminofluorene (2-AAF)53-96-3+++
MeIQx77500-04-0+++
PhIP105650-23-5+–+
Benz[a]anthracene (BA)56-55-3.++
7,12-Dimethylbenz [a]anthracene
(DMBA)
57-97-6+–+
3-Methylcholanthrene (MC)56-49-5+–+
4-Nitroquinoline-1-oxide56-57-5+–+
N-Ethyl-N-nitrosourea (ENU)759-73-9+–+
Trichloroacetic acid76-03-9+–
Methapyrilene HCl91-80-5++
Urethane51-79-6++–
Pentachloroethane76-01-7+––
Chloroform67-66-3++–
Lindane58-89-9–––
2-Chloro-p-phenylenediamine SO461702-44-1––+
p-Phenylenediamine 2HCl624-18-0––+
2,5-Toluenediamine SO46369-59-1––+
α-Tocopherol (Vitamin E)––
Benzo[a]pyrene (BP)50-32-8+–+
Tetrachloroethylene127-18-4+––
Acetamide60-35-5++–
Diethylstilbestrol (DES)56-53-1+E–
Phenytoin (5,5-Diphenylhydantoin)630-93-0+E–
D,L-Ethionine++–
Aspirin50-78-2–––
4-(Chloroacetyl)acetanilide140-49-8––+
Phthalamide88-96-0–––
Caprolactam105-60-2–––
3′-Methyl-4-dimethylaminoazobenzene (3′-Me-DAB)55-80-1++
4-Dimethylaminoazobenzene (DAB)60-11-7++
Chlorendic acid115-28-6++–
1-Chloro-2-propanol (technical)127-00-4––+
3-Chloro-p-toluidine95-74-9––+
4-Nitroanthranilic acid619-17-0––+
1-Nitronaphthalene86-57-7––+
Sodium benzoate532-32-1–––
Indomethacin53-86-1–––

発がん性・・・発がん性試験に用いられるマウス、ラットのいずれかの臓器における発がん性を示す。陽性の場合「+」、陰性の場合「-」。
ラット肝発がん性・・・ラットの肝臓における発がん性を示す。陽性の場合「+」、陰性の場合「-」。
変異原性・・・Ames試験の結果を示す。陽性の場合「+」、陰性の場合「-」。
LP・・・Limited Positiveの略、雌雄一方でのみ発がんした場合、もしくは投与経路が大きく異なる場合が該当。
E・・・NTP等でEquivocalと判定。
?・・・調査の結果、明確な情報が得られず。

動物試験

トキシコゲノミクス手法を用いて発がん性を予測するために必要な投与期間は、発がん物質に特徴的な遺伝子発現パターンが出現する投与期間により決まりますが、現状ではそれを判断できるデータはほとんどありません。そこで本開発では、一般工業化学薬品の毒性評価法として用いられている化審法の28日間反復投与試験をベースとして本開発に適した試験プロトコールを開発し、1日から28日までの間で発がん性予測法に適した投与期間の検討を行いました。また、遺伝子発現量を測定する臓器は肝臓としました。これは肝臓が発がん物質の最大の標的臓器であること、投与した発がん物質は肝臓を循環すること、そして肝臓での代謝を受けて発がん物質となる場合が多いなどを考慮して選定いたしました。また、本試験プロトコールは、化審法等の試験の一環として実施することが可能という実用的な利点があります。

データベース

試験物質の性状・毒性等の情報、試験条件、試験データ、遺伝子発現量データ等のすべての関連情報およびデータは、データベース化し一元管理を行いました。このデータベースには、NCBIなどの外部データベースから遺伝子機能、ネットワーク等の情報を収集し、遺伝子発現データ等との関連性を解析する機能やバイオインフォマティクス手法とリンクさせてデータ解析が容易にできるに機能等を付与しております。

予測モデルと予測式作成

上記の発がん性既知物質を投与した肝臓の遺伝子発現データからバイオインフォマティクス手法を用いて解析し、発がん物質の投与に特徴的な発現パターンを示す遺伝子を特定し、それらの遺伝子の発現量と発がん性の有無を関係づける発がん性予測式を開発しました。予測式は、試験した発がん物質には既知見では不明なものを含めた多数のメカニズムが混在している可能性があり、発がんメカニズムが変異原性の有無により異なることも考慮した3つの予測モデル*4各々について作成しました。
発がん物質の投与に特徴的な発現パターンを示す遺伝子の特定は、発がん物質群と非発がん物質群間で有意な発現変動の差を示す遺伝子を統計量の一つであるウェルチのt値を基準に選定し、さらにその中から発がん物質投与での発現変動値が確実な遺伝子セットに絞りました。最終的に絞り込んだ遺伝子セットの発現データの変動パターンを基に、サポートベクターマシン法を用いて発がん性予測式を作成しました。予測式作成に利用した物質の予測率は、肝発がん物質100%、肝以外を標的とする発がん物質94%、非発がん物質89%という結果でした。

*4 各モデルでは予測精度向上のため、発がん物質の投与によって現れる特徴的な発現パターンの違いや、Ames試験の判定結果などを基に発がん物質を分類しました。

発がん性予測システムの構築

開発した3モデルの予測式は、モデル構築の前提が異なるために予測式が得意とする発がん物質の範囲は異なることが考えられます。そこで、これらの3モデルの予測結果を総合的に判定し、化学物質の発がん性を予測する発がん性予測システムを構築しました。
発がん性が未知の化合物の発がん性予測を予測する場合は、28日間反復投与試験を行ったラットの肝臓の遺伝子発現データを、この発がん性予測システムにインプットすることで、3つの予測モデルの各々の予測結果と総合評価結果の他に、データベースに格納されている既試験物質との発現パターンの類似性や、予測結果の信頼性等のデータ出力され、専門家による予測結果の考察をサポートできる機能を有しています。

予測法検証

開発した予測法の予測性能は、以下に示す方法で検証しました。さらに開発した予測法が本開発で使用した試験条件以外の条件へ適用範囲の検討についても行いました。

予測性能の検証

ブラインド試験

予測式を作成する際には文献で報告されている発がん用量を基に試験用量を設定しましたが、発がん性未知の化合物の発がん用量は不明ですので適用できませ ん。開発した発がん性予測法を発がん性未知化合物に適用するためには、発がん性未知化合物に対する適切な試験用量の設定のプロトコールが必要となります。 そこで、本開発では、予測式作成に用いた85物質から無作為に選定した18物質の物質名等の情報を秘匿した状態で、LD50値から設定した用量で動物実験 および遺伝子発現量測定を行い、得られた発現データを発がん性予測システムに適用することで用量毎の発がん性予測性能を調査しました。
その結果、開発した発がん性予測法は、所定の用量以上で発がん性予測が既知見と一致する傾向があることが判り、発がん性が未知の物質に対する試験用量の設定が可能であることを確認しました。

外部バリデーション試験

予測式作成に用いていない物質を予測システムに適用することで、発がん性が未知の化合物への適用性を検証しました。
その結果、肝臓を標的臓器とする発がん物質に対して高い予測性能があることが確認されました。

予測法適用範囲の確認

構築した予測法は異なる系統や実験条件に対して、どの程度汎用性があるか、その適用範囲を確認するために次のような実験を行いました。

F344ラットとSDラット間の発現変動パターン比較

F344に用いた試験プロトコールと同じ方法でSDラットの肝臓の発現データ を取得しました。そのSDラットに投与した物質もF344に投じた物と同じ物を4物質選定し、得られたそれぞれの肝臓の発現データを予測システムに適用し た結果、F344で得られた予測結果と同等の結果が得られました。

異なる実験条件間の比較

Wistarラットを用いた発がん性が既知である10 物質の混餌投与試験を行い、Wistarラットの肝臓から取得した遺伝子発現データを発がん性予測システムに適用した結果、一部の結果についてはF344 に比べて予測率が落ちることが確認されました。投与量の設定等を今後検討する必要があると考えられます。

異なるアレイプラットフォーム間の比較

ToxArray3に搭載している約6700プローブをAgilentの基板 上に配したカスタムアレイ(二色法)を新たに作成し、得られた発現比(投与群/対照群)の比較を行いました。その結果、変動した遺伝子を中心に解析した結 果、両フォーマット間で0.7以上の相関性が見られました(下図は結果の一例)。また、発がん性の予測結果についてはラット肝発がん物質についてはほぼ結 果が一致しておりましたが、その他の発がん物質については結果が異なっている物が見られました。現在、GeneChip等の発現データを用いて、予測式の 適用範囲の確認を進めております。

ToxArray3

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